苦しみ抜いた大学受験、浪人生活

苦しみ抜いた大学受験、浪人生活

どうも。今日は僕の大学受験の経験を書きたいと思います。

 

最初に言ってしまうと失敗だらけの受験生活だった。だからこそ見えてくるものもあると思う。

ので、書きます!!!

 

今回もミャンマーにてインターンをしている際に書いた日誌の一部です!!!

 

現役時代

 

2月25日。

 

やはり毎年気にせずとも気にしてしまう日である。

そう、国公立大の二次試験の日である。

つい2,3年前の今頃はどきどきして眠りにつけなかった。

だが、俺は今こうしてミャンマーでのインターンの疲れと闘いながらも、

先日社長からまんまと借りることに成功したWindows Xpのパソコンと向き合っている。

 

2,3年前の自分はこんなことしてるなんて思ってもみなかったろう。

 

だいたい、受験勉強で英語に苦労しすぎてもう受験が終わったら英語なんて勉強しねえ、海外なんてもっての他だ、

 

とかかんがえていたっけな。

 

それが今、英語がしゃべれる人が少なすぎて英語がしゃべりたくて仕方ありません。。笑

 

 

 

ある程度広い世界を知り、学歴なんてまったく関係ないこの国にいる今となっては、

毎日偏差値なんかに一生懸命になっていた自分が少しちっぽけにも見えてしまう。

 

でも、受験するからには全力で取り組んだことに悔いはない。その偏差値ごときにこだわり抜き、一生懸命取り組み、失敗があったからこそ、

 

今があるのだと思う。

 

偏差値30台からの挑戦

 

高校野球を7月までやっていた僕は引退して机に向かった瞬間、

 

余弦定理がわからない、不定詞がわからない状態であった。偏差値30台だ。

 

本番まで半年もない。

 

だが、志望校は決まっていた。東大だ。

 

もちろん親からも先生からも友達からも反対され、馬鹿にされた。

 

「お前、その偏差値で東大かよ。」

 

 

 

自分の高校は進学校で周りに東大を目指す人も結構いた。

 

同じクラスにいるやつに負けたくなかったし、野球で大して活躍もできていなかった僕は

 

勉強で一番になりたかったのかもしれない。親が離婚しているものの、両親に認めてもらいたかった気持ちも強かったと思う。

 

父親には特に、東大に受かって

 

「俺はここにいるんだ」

 

と伝えたかった。

 

もちろん母子家庭だということもあり浪人は絶対にできない。母には受かりやすくて学費の安い旧帝大などを薦められた。

 

しかし、旧帝大だと一人暮らしになるので結局お金はある程度はかかる。

 

「なら、東大が一番じゃね?」

 

 

 

てなわけで、そこから、一から勉強した。

 

なんとかセンター前までには偏差値58程度にはなっていたと思う。

 

「まだ伸びる。俺は勉強を始めるのが遅かったんだ。俺ならできる。」

 

そう思っていた。

 

センター試験

来る、センター当日。

しょっぱな、日本史B。

 

手ごたえあり。

 

「やっぱり、やっていたもんな俺。」

 

 

 

次、地理B

 

45分で終了。

 

「俺天才。あれ。今年問題形式変わったのかー。⑤までになったんだー。。。。まてよ。

 

 

 

 

 

 

 

これ、地理Aじゃね?、、、、、、、、、、、、」

 

 

 

 

 

3分間思考停止。逃走しようか真剣に検討。

 

しかしやるしかないと思い、12分でやるだけやる。人生最高に頭回す。

 

 

 

次、国語。

 

あの伝説的に難しかったあの年です。。。

 

 

 

さっさ、死亡のお知らせ。

 

完全にメンタル崩壊。

 

 

 

その後もだらだらと地理を引きずり。

 

自己採点をしてみる。

 

日本史98。

 

地理68。

 

 

 

えっ。。。

 

12分でめっちゃできてるやん。なだけにそっからメンタル崩壊していった自分が悔やまれる。

 

完全に気持ちの弱さが浮き彫りになったセンターでした。

 

足切りという壁と東大二次試験

 

そんなセンターだったんで、東大に出せるわけがない、足切りを食らう。

 

※足切り

 

志願者数が募集人数に対し多すぎる人気国公立大学はセンター試験である一定ラインを決め、それを下回った者は二次試験を受ける資格がない。東大は例年足切りが存在し8.2割くらいが足切りラインであった。

 

 

 

そう思っていました。てか誰もがそう思います。

 

僕は565点。6割ちょっとです。普通なら足切りを恐れて出願しないでしょう。

 

さっさ、周囲の反対を押し切り、出願しました!!!

 

国語が難しかったおかげで全体的にできが悪く、みんな弱気になります。

 

東大出願しません。実際に出願者数も少なかった。

 

だから逆に僕は出願しました。

 

第一このセンターの点数で他の国公立に出したところでビハインドが大きすぎた。

 

ずっと東大のために勉強してきたのだから、逃げるわけにはいかない、どうせなら東大でいこう、そう思いました。

ただ、思ったからといって受けれるわけではありません。

 

足切りという壁があります。

 

 

 

なんと、足切りがありませんでした!!!

 

へっ???

 

30年ぶりだがそれくらいぶりだそうです。

 

皆には奇跡、奇跡言われました。

 

たしかに、奇跡でした。

 

お前は東大に行くんだ。と神様が言っている気がしました。

 

頑張っていれば何か起きるもんです。

 

 

 

いつもネット上で一次通過合格最低点というのが発表されるんですが

 

自分のセンターの点数が全国に公開される、確信していました。

 

 

 

すると、公開された点数は、222。

 

はっ!!!???

 

 

 

俺の点数222???

 

違いました。

 

センターで答えを全部3とかウにして出願するアホが毎年いるらしいのです。

 

助かりました。。。

 

 

 

神様にチャンスをもらったからには全力でやろう。

 

 

 

残り一ヶ月、死ぬ気でやりました。

 

東大受けました。

 

 

 

落ちました。

 

 

 

そんな人生うまくいきませんね。

 

私立も一つ受けていたのですがダメで、親にはわがままをいって浪人することにしました。

 

 

 

浪人時代

 

苦悩の日々

 

現役時代に偏差値30以上上がったのだからあと一年もあれば受かるだろう。

 

そう思いつつも気合を入れて浪人時代をスタートさせました。

 

駿台に通い始め、自分は男子校だったこともあり6年ぶりの男女混合席替えに胸を弾ませたのは内緒です。笑

 

成績は伸びる!!と思っていたのですが、伸びません。特に英語。特にリスニング。

 

その時気付いたんですね。

 

自分って頭よくないんだなと。

 

小学校の時から親が教育熱心だったこともあり小学校では常成績が良く中学受験もうまくいき、中高でもそれなりの成績を出してきた

 

僕にとってははじめての勉強での挫折というか、正直ショックでした。

 

でも頭がよくないと気付いたからといって、東大受験をやめるわけにはいきません。

 

途中で逃げるなんて、そんなださいことできるはずがありませんでした。

 

ましたや、日頃から僕は東大に行くんだと大口切っていましたから今更引き下がるわけにはいきません。

 

馬鹿なら馬鹿なりに、我武者羅に問題を解きまくりました。

 

東大25年全強化を解き、予備校の予想問題集もやりました。

 

頭の質でダメなら量で勝負。

 

しかし、伸びません。

 

まあ、辛かった。

 

なにせ孤独。予備校に友達がいるとはいえ孤独。結局試験を受けるのは、勉強するのは一人なんです。

 

まったく先の見えない道を歩いているようでした。

 

ただ、降り止まない雨はないのだ、と自分に言い聞かせながら、時には松岡修三の熱い動画を見ながら、孤独と戦い続けました。

 

頻尿に

 

そして普段はでかい口たたいてますが、言うてメンタルも体も弱いさっさ。

 

ストレスで頻尿になります。

 

泌尿器科にいくと、

 

「なにか、思いつめていませんか?」

 

といわれる始末。

 

結局本番まで治らず試験会場では一番トイレに近い席にしてもらうという特別措置をとってもらいました。

 

ちなみに、受験が終わった瞬間、完治いたしました。笑

 

センター試験パート2

 

そうこうしてる間にセンター試験はやってきました。

 

去年、あれだけ国語が難しかったのだから、今年は簡単になるだろう。

 

誰もがそう言っていました。

 

 

 

激ムズ。

 

誰やねん、簡単になるって言ったやつ。

 

完全に、さっさ、またもメンタルやられます。

 

一年間でメンタルも鍛えたはずだったのですが、またもやられました。

 

そう簡単に強くはなれません。

 

その後の人生の課題です。

 

そんなこんなでまた、足切られるかどうか怪しいレベルの点数しか取れませんでした。

 

それが、またもや奇跡的に足切りがありませんでした。

 

二年連続で、しかも自分の年に足切りがないなんて、神様が自分に東大にいけと言っているようにしか思えませんでした。

 

だが、もちろん、もう二浪はできない。浪人して私立など、そんなお金のかかることはできない。

 

だから、志望校を落としました。

 

 

 

 

 

なんてことはしません。

 

もし人生が二回あるならそうしたかもしれません。

 

でも人生は一回なんです。

 

一回きりの人生、でかい目標に向かってチャレンジしたいじゃないですか。

 

その挑戦がだめならまた新たな目標に向かって頑張ればいい。

 

挑戦もせずいつも安定を求める人生なんてつまらない。

 

てことで二次試験での脅威の巻き返しを信じてまた死ぬ気で一ヶ月勉強しました。

 

一日、17時間は勉強したんではないでしょうか。歩いてる時も、風呂の中でも、トイレの中でも、飯食ってる時もやりました。

 

正直辛かった。でも、僕は東大にいきたかった。負けたくなかった。どうせやるならテッペンとりたかった。「自分はここにいるんだ。」と示したかった。

 

私立は捨てました。私立の勉強をしている暇なんかなかった。過去門もほとんど解かず試験前日も東大の勉強をしていました。東大か第10志望か、というような賭けに出た訳です。

 

早慶全滅。

 

もちろん対策なんてしなくても東大を目指す人は早慶、普通は受かります。

 

ただ、僕は馬鹿です。そんなん知ってます。だから勉強しまくるんです。

 

東大二次試験パート2

 

そしてやってきた東大当日。

 

出し切りました。その時の爽快さは一生忘れられません。

 

がんばった後ってこんなに気持ちいいんだ。

 

 

 

 

 

結果は不合格。

 

悔しかった。死ぬほど泣いた。

 

もちろん迷惑をかけ続けた親には感謝したい。

 

 

 

波乱万丈の大学受験を終えて

 

そうして僕は第10志望くらいの大学にいくことになった。

 

入学式なんてまじで行きたくなかった。今同じ大学の奴には申し訳ないが、なんで俺はこんなとこにいるんだと何度思ったことか。

 

そして高校や予備校の周りの人間には馬鹿にされているんだろうな、と思う毎日。

 

そんなことを考えながら大学にもサークルにもなじめずだらだらとバイトだけして、一年ほど過ごした。

 

こんな生活、抜け出さなければならない。

 

そう思い僕は大学の奨学金をもらい留学に行くプログラムに応募。

 

無事合格しフィリピンのセブに留学した。

 

フィリピン留学についてはまた詳しく述べたいと思います。

 

今となってはたくさん足を運んでいますが僕自身発展途上国に行くのはその時がはじめて。

 

そこには、大学にいけるのに大学名なんか気にしてうじうじうじうじしている僕とは対照的に

 

食べ物も十分に食べられず住むとこもまともに確保できていないにも関わらず毎日綺麗な笑顔で楽しそうに暮らしている人たちがいました。

 

「なんて自分はちっぽけなんだろう。

 

そんなこと一生気にして一生生きていくのか?学歴なんて気にすんな。大事なのはこれからどうやって毎日楽しく生きていくかなんだ!」

 

 

 

今では、学歴がどうだのこうだの言っている人を見るとちっぽけだな。と思います。

 

世界は広いんです。学歴で人は測れない。どんだけ夢に向かって頑張っているか、どんだけ周りの人々を大切にしているか、どんだけ毎日楽しんで生きてるか。などで人は測られるべきだ。

 

 

 

人によって目標はさまざまだ。

 

中学受験がゴールかもしれない。東大合格がゴールかもしれない。就職がゴールかもしれない。結婚がゴールかもしれない。出世がゴールかもしれない。

 

でも、一つゴールを達成できなかったからといってそれで終わりじゃないんだ。また次のゴールが現れる。

 

ただ、次々にやってくるゴール一つ一つに向かって一生懸命に取り組むべきでありそれは素晴らしいことだ。その過程が人を強くする。

 

そのゴールのレベルは人それぞれであり、それにいいとか悪いとかはない。

 

でも、僕は常に高い目標を持ってやっていきたい。目標は高ければ高いほど達成した時気持ちいいんだ。(Mr. Childrenの終わりなき旅の一節ですね)

 

今は東大を目指して一年間遠回りして大学に入ったことに後悔はしていない。

 

むしろ、こんなことに気付けたので遠回りして良かったとも思っている。

 

そして、今僕は、新たな、またもやばかでかい目標に向かって頑張っています。

 

わい、ミャンマーに来てスタンプを押し続けている模様。

 

では、ミャンマーでの生活も一週間となりましたが、頑張ります!!!

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