世界の最果てとも呼ばれるミャンマー・チン州のハカってどんなとこ!?

世界の最果てとも呼ばれるミャンマー・チン州のハカってどんなとこ!?

どうもこんにちは。

 

今日は私が滞在しているミャンマーの最果て・チン州のハカという街についてご紹介したいと思います。

ミャンマー チン州の景色

 

いや、待て。

 

何でさっさ、そんなとこに滞在しているんだ!?

 

 

私は前記事、
でもご紹介しているように政府とのミャンマー教育改革プロジェクトにNPO団体e-Educationの5代目ミャンマープロジェクトマネージャーとして関わっております。

 

 

具体的なチン州・ハカでの記録は

//sasakanemoto6.com/2017/06/21/trouble-in-myanmar/

 

こちらの記事を参照下さい。

 

また、チン州の紹介動画をYoutubeにても公開しております。(Myantuberと言う名でYoutuberを細々とやっております!!!)

 

是非ご覧ください!!

 

 

では、本題のチン州・ハカの紹介に移りたいと思います。

 

 

チン州ってそもそもどこ!?

 

ここです。

ミャンマー・チン州 ハカの位置

 

 

チン州の州都、ハカ。

そこは標高1800メートルほどの高地に位置し、どんなに暑い時期でも30度弱、寒い時は一桁。

 

めちゃくちゃ暑いミャンマーの中で、非常に過ごしやすい、高地気候です。

 

 

そんなハカへは、ミャンマーの中心都市・ヤンゴンからは激狭小型バスに揺られ30時間で到着します。

 

まあ遠い。。。

寝ても起きても、また寝ても起きても、そして恋バナしても、また寝ても到着しません。笑

 

 

まあ、時間だけだったらまだいいです。

 

 

30時間の道のり。その道のりは山を超え、下り、また超える。その繰り返し。

 

砂利道で、道は悪い。

ミャンマー チン州までの厳しい道のり

 

山を越える途中で崖道も数多く存在します。

 

 

雨季はいつ土砂崩れが起きてもおかしくない。そんな道を行きます。

 

ミャンマー・チン州までの果てしない道のり

イスラム国で最近危ないと言われている国より死亡率は高いと思われます。そこはまさに命がけ。

 

 

一番近くの飛行場までも崖道を約10時間。

 

(チン州・ハカに飛行場を建設しようという動きは噂程度ですが存在します。日本企業(三菱商事と言われている)が関わっているという噂も。)

 

 

交通が超絶不便なチン州には物資も入ってこなければ人材も訪れることは多くありません。

 

そんな環境であることもあってチン州はミャンマーの最果て、いや、世界の最果てと呼ばれております。

 

 

チン州の歴史

 

 

そもそもミャンマーという国は元々イギリス連邦に中に組み込まれており、イギリスの分割統治政策(諸民族を分割し、民族間の対立を煽ることによって宗主国への独立運動を防ごうとする政策)によりチン族はミャンマーの中で最大勢力であるビルマ族に対して反感を抱いていました。

 

 

ミャンマーの中のカチン族、シャン族などその他の少数民族についても同じことが言えます。

 

 

そのせいで現在の少数民族と中央政府との対立があるのです。

 

 

現在、アフリカを主とした途上国での民族間紛争の元凶と言われる欧米諸国の植民地支配時代。

 

 

ここ、ミャンマーでもその欧米諸国の悪事が尾を引いているのです。

 

さて、チン族に話を戻します。

 

ミャンマー(ビルマ)という国を仕切るビルマ族に反感を抱いているチン族。

 

 

その感情を上手く利用してか第二次世界大戦後、そのチン族に対してアメリカ人がキリスト教・プロテスタントを普及しました。

 

 

元々宗教という宗教を持たず、アニメズムを信仰していたチン族。

 

しかも仏教徒であるビルマ族に反感を抱いている民族。

 

アメリカ人にとってキリスト教を普及するには容易い民族であったのでしょう。

 

キリスト教と共にそれに付随するミッションスクール(貧困層のための学校)や教会施設なども建設されていったようで、今も現地人の生活には欠かせないものになっています。

ミャンマー チン州 教会

 

また、チン州の中にも沢山言語は存在するのですがその中でもメジャーなハカ語の文字は、第二次世界大戦後のアメリカの影響でローマ字に変換されたそうです。

ミャンマー チン州 文字

 

アメリカの話について言えば、チン州からの移民は世界各地にいて、特にアメリカのインディアナ州やオクラホマ州、ノルウェーや日本の東京などに特に多いそう。

 

アメリカやノルウェーなんかはなかなかの人口がいるせいかチンコミュニティーが存在し、チン言語の民間放送なんてものもあるそう。

(アメリカに移住しているチン族は難民キャンプで過ごしている人も多いそうで、難民扱いで入国している模様)

 

 

そして、チン族は皆やはりアメリカ人に好感を持っていて、アメリカ人との結びつきは強い。

ミャンマー チン州 アメリカ

 

そんなチン州。直近の歴史は、と言えば

 

つい数年前もビルマ軍部にハカの教会が襲撃されたり、とビルマ族との軋轢は未だに残存しているよう。

 

また、学校や役所では中央政府の言語であるビルマ語を使用するよう強制されたり(まあこれはミャンマーという国でチン族が生き残っていくためには仕方のないことである気もするが)、学校のカリキュラムの中でチンの文化を教えることが許されないなど、中央政府からはかなり虐げられているというのが現実のようである。

 

 

しかし、ミャンマーが軍部政権時代から民主化されてNLD政権になってから、状況はいい方向に向かっているよう。

 

 

アウン・サン・スー・チー氏による少数民族との和解の試みや、学校教育内での新カリキュラムを地方と一緒に作っていこうという流れもあるようでチン州政府の役人も頻繁に首都・ネーピードーに出入りしている。

 

そんな山岳地帯で誇り高く暮らすチン族。

 

 

民族内にはミャンマーを連邦制にしてチン州としての自治権を獲得したいとの声もあるようです。

 

ミャンマー中央政府が連邦制を採用し、各民族の一定程度の自治を許すか。

 

それには長い道のりがあると思います。

 

もちろん土地や人口、資源など今まで中央の元でコントロールされていたものが、なかなかコントロールし辛くなる。

 

そのような中央政府のデメリットに対して少数民族がどの程度財政面などで譲歩できるか。

 

連邦制はそう簡単なことではなさそうだ。

 

 

チン州には何がある!?

 

はっきり申し上げましょう。

 

何もありません。

 

 

 

先ほども述べたように、交通の便が悪すぎますので物資も人材もおりません。

 

チン州の州都、ハカにはゲストハウスの4つしかホットシャワーがないとも言われております。

(チン、普通に寒いですよ。真水のシャワーとか毎日修行でしかありません。
笑)

 

(プチ情報:チン州通信環境

 

ハカ・もちろんチン州には固定回線はありません。ですので全てインターネットはSIMカードを差せる端末(スマホなど)を通してしか使えません。

 

その通信環境はハカ市内では悪くはありません。

MPTで3G5本、telenorで3G4本立ちくらいです。ooredooはあまり使えません。(2017年7月現在))

 

 

しかしさっさ、チンにあるもの、見つけました!!!

 

それはズバリ、人情です!!!

ミャンマー チン州 人情

前記事でも紹介したように、ここ途上国には人情というものがあります。

 

 

家族、友達を大切にし、仲間で協力して暮らしていく。

 

ヤンゴンに比べればやはりこの自然の厳しいハカでは、みんなで寄り添い協力しながら暮らして行っています。

 

今日も何故だか知らない近所の人が沢山リビングに来てホームステイ先の子ども達を可愛がっています。今夜の食事は近所のみんなのおすそ分けです。

 

隣の家の子は自動的に一生付き合う幼馴染です。

 

街で出会う人はみんな友達です。

役所の人間もみんな友達だからここだけの話何でもありです。笑

 

街の人間がヤンゴンに、海外に出ていくと行ったらみんなでお見送りをして、久々に帰ったら、みんなが笑顔で出迎えてくれる。

 

そんな、みんなの帰る街なんです。

 

転勤族のさっさにとってはそんな故郷のような街があることが羨ましくてたまりません。

 

でも、フィリピンもミャンマーもそうだけど、みんな僕のことを暖かく迎い入れてくれます。第二の故郷だと思ってます!!!

ミャンマー チン州 人情

 

これからのチン州

 

今まで、政情不安定により外国人は全面立ち入り禁止でしたが現在北部は解放されています。

 

 

その影響でチン州に関する情報は極端に少ない。

 

そんな中、僕が何故ここまでチン州に詳しいかと言えば

 

もちろん、そう、現在の仕事のパートナー、ジョセフの存在です。

ミャンマー チン州 パートナー

 

彼はチン州出身で故郷をこよなく愛する男なのです。

 

先ほどのチン族の自治権獲得についても、彼の意見でもあります。

 

彼はこのチンという街に活気を取り戻したい。皆が幸せに暮らせる街にしたい。そんな熱い気持ちを持ってやっています。

 

自治権獲得は難しいかもしれない。

 

でも、故郷を活性化させよう、故郷の人々がもっと生き生きと暮らせる世の中を作ろう。

 

そんな熱い志士たちの想いはいつか身を結ぶはずです。

 

教育が良い人材を生み出し、ミャンマー国内、世界で活躍し、少数民族としての誇りを対外的に示す。

 

そうやって民族の価値を示し、中央でのチン族のプレゼンスを高め、自治権獲得に近づいていく。

 

彼はそんな夢を今描いているのかもしれません。

 

 

応援!!!

 

ミャンマー チン州 キリスト教

 

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