ミャンマーでの苦悩〜大事なのは理論じゃなく仲間だった!?〜

ミャンマーでの苦悩〜大事なのは理論じゃなく仲間だった!?〜

どうも、久しぶりの更新です。

ちょっとバタバタしていました。っていうのは言い訳になりませんね。

 

今日はこの2ヶ月間さっさが何を感じてきたかを振り返る意味でも我が家宝・さっさの日記から

特別に

抜粋してお見せしたいと思います!!!

 


 

さっさ、今どこにいる!!??

 

約1年ぶりに筆を取る。今日筆を取ったのには理由がある。

何かを感じたからだ。理屈ではない何かを。

 

今僕はミャンマーの最果て・チン州のハカという小さな街にいる。

ミャンマー・チン州 ハカの位置

 

 

ジョセフというe-Educationのパートナー団体・Fosterの代表の家にホームステイして彼の姪っ子たちと楽しく遊ぶ毎日だ。

ミャンマー・チン州の子ども達

 

 

 

ここには何もない。資源もないし人口も少ない。

ミャンマーの中央政府を司るビルマ人に虐げられて省庁や教育の現場では自身の言語ではないビルマ語を使うよう強制させられている。チン州独自の文化が失われていってしまうのをなす術も無く呆然と立ち尽くしているようだ。

チン州・ハカの街並み Chin Hakha

何故なら何もないから。あるものと言ったら山くらいだろうか。

ミャンマー・チン州の山々

ミャンマーの中心地・ヤンゴンへは30時間もかかるほど離れていてそこまでの道のりは平坦ではない。雨季はいつ土砂崩れが起きてもおかしくない道をバンの中で揺られながら人々は移動する。

 

ミャンマー・チン州までのバン

もちろんそんなインフラでは観光客も来なければ優秀な人材は外に出て行き、戻って来ない。

物資も入って来ない。街にあるホットシャワーの数はゲストハウスにある男女合わせて4個だけ。

飛行場までも10時間以上砂利道を進まなければならない。

ミャンマー・チン州までの果てしない道のり

そんな環境では中央政府と対峙するだけの経済力もなければ人的資源も養われない。そんな場所にハカという街はあって、僕は今ここにいる。

 

 

 

プロジェクトへいざ参らん!!!

 

さて、話を戻そう。僕は何を今日感じたのか。

 

僕たちは今ハカの公立高校で教育支援活動をしようとしている。そう、このハカの街に活気を取り戻すため、まずは教育から変えていこうとしているのだ。

どのようにしようとしているのか。

我々e-Education・Fosterのリソースである映像授業を公教育の中に組み込んで高校生の大学進学率を向上させようとするもの。

もちろんただ映像授業を組み込むのではなくてそれに付随する支援も行っていく。

  • 日々のテストの結果をどのように生かして生徒の成績を先生が向上させていけるのか。
  • どこのチャプターが大事でどのような戦略を立てれば大学に受かりやすくなるのか。
  • 先生は難しい部分をどのように教えていけば生徒の正しい理解につながるのか。
  • そもそも生徒がどのように学習目標を設定してそれに向けてどのように先生は生徒と協力していくのか。
  • どのように生徒は復習していくのか。
  • 生徒のモチベーションをどのように高めていくのか。

など、多岐に渡るものだ。

 

プロジェクトの歴史

ミャンマー・チン州での映像授業の様子

何故このようなことを今年しているのか。それは我々の団体の歴史に遡る。

 

 

我々e-Education Myanmarプロジェクトは初代プロジェクトリーダー小沼が映像授業を撮影し始めたところに端を発する。有名な先生の元を訪れ、数教科の大学受験用(高校卒業試験用)の映像授業を撮影したのだ。はじめは実験的な意味合いもあり塾や僧院学校と言われる私立学校から映像授業を導入し始めた。

しかしここで大きな2つの問題に直面した。

1つ目は映像授業を届ける側の問題。彼は私のような学生であっていつか日本に帰らねばならない。そして彼一人では映像授業を広げていくのには限界があった。質的な意味でも量的な意味でも。何が言いたいのかと言えば、ミャンマー人の教育はミャンマー人彼らの手によって変えていくのが一番であるのではないかということ。それらの問題を解決したのがFosterの代表・ジョセフの登場だ。小沼・その後任の林はパートナーであるジョセフというアクターを手に入れ、永続的な映像授業の提供が可能になった。もちろん簡単に手に入れた(この表現は正しくないかもしれない)訳ではない。これについては後述することとする。

2つ目の問題は映像授業の展開の仕方について。塾や私立学校に入れていては広がりに欠ける。塾や私立学校ではそれぞれ異なるオーソリティーが経営していて一つの学校で成功しても他の学校でそれを一気に広めようとはならない。つまり、一気に展開しようとするならオーソリティーが政府という一つのアクターである公立学校なのだ。その展開方法について問題があった。そして塾や私立学校に映像授業を届けていると言っても地理上の制約からそれがどの程度マネジメントされ、生徒にどのようなインパクトを与えているのか疑問の余地があった。

 

e-Education ミャンマープロジェクトの歴史

これらの問題を解決したのが、いや、これからするのが今年のプロジェクトだ。

ジョセフの出身地であるハカという村の公立学校で初めて映像授業を導入してその効果を検証するとともに来年からはその効果を持って政府からの承認を受け展開させていく。

このプロジェクトは我々が長年やりたかったことなのだ。

 

今年のプロジェクトの問題点

 

ここまで聞くと「おお、いい流れじゃないか」と思う人も多いかもしれないがここで問題がある。

どうやって既に先生が存在している公教育の中で映像教育を活用していくのかという問題である。

アクションプランとしてはおそらく3つある。

  1. 映像授業を授業の模範として頂くために先生たちに見てもらい対面の授業で活かしてもらう。
  2. 先生たちが説明しきれない部分だけ映像授業を授業内で活用してもらう。
  3. 基本的に授業は映像授業で行い、その補足を先生に対面でしてもらう。

それぞれでそれぞれの問題点があるのだが、とりあえずここでは割愛し、共通する問題点を挙げることとする。

それは海外からヒョイとやってきた我々の提案を受け入れるよう、どう彼らをモチベートするかという問題だ。

先生たちには今までやってきた指導方法があってその方法に自信を持っている。

そもそも彼らは公立学校の先生であって大学受験対策の授業をするために先生になったわけではないかもしれない。

ミャンマーの公立学校の先生はとても給料が低く、塾の先生を掛け持ちしていることが多い。そしてその塾に生徒たちが来るように公立学校では受験対策までは教えずに塾に通うよう促すことが多い。

 

そのような背景もあり公立学校では先生は受験対策をしたくないと考えている先生もいるかもしれない。

 

 

そこで、先生を公立学校の中で受験対策をしてもらうようどうモチベートしてくのか。

これは至って難しい問題で、そもそも受験対策を公教育の中でやってもらうよう掛け合うのは間違っているのかもしれない。そこまで感じてしまう問題である。

もともとこのようなことは想定しており、僕は公教育の中で映像授業を取り入れることに反対であった。今でも正直懐疑的である。

難航したチン州の先生達との話し合い

 

さあ、考えてみよう。

 

皆受験対策をしに塾に行きそのおかげで大学に行けるのであれば、経済的な理由で塾に行けない人はどうなるのだろうか。

ほとんどの貧困層の生徒が大学に行きたくても行けないという状況は容易に想像がつく。

もちろんそこは公教育の中で補わなければならない。でも公教育にいる大半の人はそこでの受験対策を求めていない。

 

では経済的な理由で塾に行けない人のためだけの映像授業の塾を無料で開講した方がいいのではないか。

いや、しかしそれは本来の公立学校で映像授業を提供する理由である広がりという側面に問題が生じる。

そもそもここで話し合われているのはやはり先生の事情によるものが大きくて、もし公教育の中で生徒が全ての受験対策が受けられるんだとしたら生徒は塾に行かなくなり塾に行ける人と行けない人の差がそもそも生まれないんじゃないか。

でも公立学校の中で受験対策を先生にやるよう即すなど現実的ではないのではないか。

などを考えた上でもう分からなくなってしまっているというのが我々の実情だ。

ミャンマー・チン州 ハカの学校

 

林とのスカイプ

 

そこで今日我々e-Educationのメンバーとジョセフはこのことについて約8時間話し合っていた。

でも出口は見えない。そこで元e-Educationメンバーの林とスカイプ通話することにした。

林がどのような思いで今まで我々の団体を率いてきたのか、そして我々の今の悩みについてもお話を伺いたかった。

 

林は小沼の後を引き継ぎジョセフという、Fosterという強力なパートナーを獲得した。

一人の少年の人生を、しかもNGOである私たちのなけなしの給料を持ってして自分たちのプロジェクトに巻き込み、しかもそれを学生がやるのはどんなに難しいことであるかは容易に想像がつく。

しかし、林はその難題に地道に関係を築き上げることで立ち向かったそうだ。真剣にミャンマーの教育について語り合い、同じ釜の飯を食い、時には冗談を言って同じ時を過ごす。そんなストーリーがあってこそ今我々はジョセフたちと共に活動ができている。

その時のストーリーを林はしてくれた。

 

 

僕のすべきこと

 

そこで僕は気付いた。

 

何がどうとか仮説だとか、こう思うかもしれないとか、それはまだ分からないではないか。

 

まだ彼ら、(それは先生たち)と友達になっていない。まずは友達になろう。

できない理由ばかり探していてそれはまさに机上の空論だった。

 

 

俺の長所って何だろう。

泥臭く恥など捨て、人と魂込めて素直にお互いを讃え合い、時にはぶつかり合いながら関係を構築して行けるところじゃないのだろうか?

 

 

感情にしたがってそれを行動に移したり伝えたりして形にできるところなんじゃないのか?

 

 

それが今現在できていなくても僕はそうなりたい。

イケメンとか高身長とか金持ちだとかよりそっちの方が僕はかっこいいと思う。

 

 

ただ有名になりたいから、モテたいからと言ってカッコよくなる方法を探しているだけだった。

もちろんその理由は真実かも知れない。でもそこに至るまでの道のりを履き違えていた。

 

 

すごいことをした、有名になったやつがかっこいいんじゃない。

 

 

誰かのことを真剣に思い、それに一生懸命泥臭く取り組んだやつが一番かっこいいんだ。

 

(高校時代監督によく怒られたものだ。アクセサリーを付けたり髪をとんがらせたり、眉毛剃るやつがかっこいいんじゃない。物事に向かって一生懸命取り組んでいるやつが一番かっこいいんだと。)

 

その誰かは本当に誰でもいいと思う。でも、僕にとってのその誰かは今はジョセフかもしれない。

 

彼は今日レストランで鍋をつついている時にこう言った。

 

「ササ、君が日本で会社を作ったならば僕はちょー安い賃金で働くよ。」「なんでかわかるか?」

 

「んー、お前どうせ俺ん家に安くで泊めてくれとか言うんだろ。」

 

「違うよ。君がこの一年僕と一緒に働いてくれるからだよ。」

 

そして僕らは握手をした。僕はただ素直に嬉しかった。今まで何度も衝突したジョセフだけれども感謝の気持ちを持ってくれていたことに対してだ。

 

彼は僕がここで働いていることに恩を時感じてくれていて、彼がこの小さなハカという街で一生懸命頑張りたいというなら僕にできる精一杯のサポートはしよう、そう思った。

 

そう、この2ヶ月間で手に入れたものはこの一人のミャンマー人との絆なのかも知れない。

ミャンマー人のパートナーと

理屈じゃないんです。人生理屈じゃないから面白いんでしょう。理屈だけだったら可愛い子とブサイクが付き合えないでしょう?

 

そう、理論じゃない。感情だ。こいつとなんか感じる。何かできるかもしれない。普通に考えたら無理だけどこいつが必要って言ってるしこの友情を切るのは無理だからやる。

 

そう、感情が理屈に勝つ時がある。僕はそれでいいと思うし、それが俺の人生だ。失敗しても悔いはない。

 

そう、何が正解かわからないからやるのだ。これからやろうとしているのは今まで誰もやったことのないことだ。

 

確率は0.000000000001%かもしれない。でもやってのけたらそれはすげえことだ。

そんなの無理?
そんなの誰が決めた?

誰もやってきてない?

 

それがなんだ。だからやるんだ。まずやってみるんだ。
というわけで明日から先生との関係作り始めてみます。まずはお土産配りです。人数分あるかわかりません。なければ封を開けて割るのみです。

 

そのかけらが先生と友達になって我々のプロジェクトを成功させていく鍵となります。

 

ってな感じで明日から弾けていきます!

よろしゅう!!!

ミャンマー・チン州 ハカの展望台にて


 

如何でしたでしょうか!?

 

これは少し前に書かれたもので多少現在の状況とは異なるところはありますが、

今後の展開は乞うご期待!!!

 

では!!!

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